栗原 亜里沙さん [主婦](20代女性) 栗原 亜里沙さん [主婦](20代女性)

金子 明彦さん [ウェディングプランナー](50代男性)

千葉県市原市在住。千葉県茂原市の結婚式場の支配人を歴任したのち、現在はウェディングやパーティーなどのプロデュースを行う「Aemotion Creators」の代表として、千葉県内各地で結婚式やイベントなど精力的に展開している。

あの時より、小さく感じた。その分、自分が成長したってことなんでしょうね。

長年、結婚という人生の最も美しい輝きを放つ現場を創り上げてきた金子さん。細やかなところにも気配りを忘れない、“ダンディ系”な方です。金子さんご自身の結婚にも、千葉パルコは深い関わりがあるそうなのですが、そんな思い出たっぷりの千葉パルコが閉店するニュースに接して、寂しさまじりに思い出を語っていただきました。

それぞれのテナントのカラーがあって面白かった。

「私が千葉パルコによく行っていたのは、高校生の時でしたね。あの頃は、DCブランドブームで、いろいろなブランドが流行っていて。そういったブランド物は、当時都内に行かなければ買えなかったものが、千葉パルコに行くと買えたんですよ。なので、私にとってその頃の千葉パルコって、ファッションの発信地という位置付けだったんです。だから、デートに行くと、京成ローザ(映画館)に行って映画を見て、近くにあったセントラルプラザでご飯を食べて、千葉パルコへ……、っていう流れをよくやりましたね。千葉パルコってテナントの集合体じゃないですか。だから、お店の中がそれぞれのテナントのカラーに溢れていて、とっても面白かったです」

世の中がDCブランドブームに沸いていた真っ只中、青春時代を過ごしたという金子さん。当時の千葉の中心市街地は、今とは随分違っていました。今、セントラルプラザは、セントラルタワーというタワーマンションに変わっています。お話を伺っていく中で、時代の移り変わりを強く感じました。そして、金子さんはしみじみとした口調で、今のご家庭を守る、奥様とのエピソードがあると教えてくださいました。

嫁のために、赤いルビーの指輪を買いました。

「社会人になってからも、千葉パルコには度々行っていました。うちの嫁とも、結婚する前からよく行っていましたよ。1階に、ジュエリーショップがあるじゃないですか。そこで、声をかけられるのがとっても怖かった思い出があります(笑)。若かったんでお金もあまり持ってなくて、年に何回かのプレゼントを買いに千葉パルコに行って、そこで声をかけられると、“買わなきゃいけない”っていう独特の空気感が生まれるので…(笑)。ちなみに、赤いルビーの指輪を買いました。それをプレゼントした思い出があります。その時、『次は、指輪のプレゼントはいらないから、婚約指輪をちょうだい』って言われて。それが、当時の甘酸っぱい思い出です」

次は婚約指輪を……、なんて、ドラマティックな“逆プロポーズ”ですね。奥様へのプレゼントを買うなら、千葉パルコで。そんな風に、女性が喜ぶ商品が数々取り揃えられているというイメージが、金子さんの中にあったことが窺えます。ということは、奥様にとってみても、千葉パルコは大切な人生の1ページになっているということですよね。

青春時代の思い出がぽっかりなくなっちゃう。寂しいですよね。

「新聞で千葉パルコ閉店のニュースを見て、私自身の青春の1ページが千葉パルコだったので、残念だな、と思いました。この間、パルコに行ってきたんです。そうしたら、小っちゃいんですよ。昔行った時と、今行った時で、感じ方が変わったんです。当時は大きく感じたんだけど、今行ってみると、思っていたより小さく感じた、ってことなんですよね。つまりそれって、自分がその分、成長したってことなんでしょうけど……。こんな小さなところから、ファッションの流行を発信していったんだな、って。そんなことをふと感じた時に、千葉パルコも、ひとつの時代の役割を終えたのかな、なんていうふうに思いました。青春時代の思い出がぽっかりなくなっちゃう。寂しいですよね」

千葉パルコ閉店のニュースを、新聞で知ったという金子さん。その時、青春時代のいろいろな思い出が頭の中を駆け巡ったとか。50代の金子さんにとって、人生の中で最も色鮮やかな思い出として残っている青春時代。そして、人生の決意を固めた奥様の一言。千葉パルコが閉店した後も、この場所にずっと消えない思い出として、永遠の輝きを放ち続けていくはずです。