卯田 允一さん [ソムリエ](30代男性) 卯田 允一さん [ソムリエ](30代男性)

卯田 允一さん [ソムリエ](30代男性)

千葉市出身。稲毛海岸のいなはまショップにある「リカーショップウダ」の3代目。自ら店頭に立ちながらも、ソムリエとしてワインの美味しさや知識を伝える活動を地元で展開している。

千葉での過ごし方が、どう変わってしまうんだろう。

稲毛海岸の名物ショッピングセンター「いなはまショップ」のオープン当初からあるリカーショップウダで、現社長であるお父さんと一緒に店頭に立つ卯田さん。長身でイケメン、しかもソムリエという三拍子が揃っているうえに、取材陣への心配りも行き届いている素敵な方です。もともとリカーショップウダは蘇我にあったそうで、生粋の地元・“千葉っ子”。そんな卯田さんと、千葉パルコととのエピソードを語っていただきました。

中学生は制服ばかりだから、洋服を見るのは楽しかったですね。

「千葉パルコは今でも行っているんですが、行き始めたのは中学生の頃でした。洋服をひとりで見に行っていましたね。千葉パルコのメンズ服売り場は御用達でした。あの頃はまだ真面目だったので(笑)、その頃はまだファッションにそれほど興味があったわけではなかったんですけど、春休みとか、長期の休みを使って行っていました。中学生って基本的に制服じゃないですか。だから自分の好きな洋服を見るのは楽しかったですね。中学生の後からは、用事があって千葉に出かけると、しょっちゅう行っています。HIGH STREETというブランドが入っているんですけど、そこが好きでちょいちょい顔を出していますね」

今回のインタビューで、最初に訪れたのは中学生の頃、という方が数多くいらっしゃいましたが、卯田さんもそのひとり。確かに、普段制服で過ごしている中学生にとって、休みの日のオシャレって重要な“楽しみポイント”ですよね。中学生の後半から千葉パルコでオシャレを学んでいったという卯田さん。入り口はオシャレ、そして大人の階段を上ると、新しい千葉パルコとの関わりが生まれたようです。

弟のドラムスティックを島村楽器に見に行ったことがあります。

「大学生ぐらいが一番行っていた頻度が高いですね。僕は横浜商科大学に通っていたんです。本当は一人暮らしをしたかったんですが、いろいろな事情で通いになってしまったんです。僕は高校生までは理系だったんですよ。だから、大学に行くなら工業系かな、とか思っていたんですが、いざ大学進学を考えた時に、自分の店でアルバイトをちょこちょこやっていて、『僕って接客業が向いてるんじゃないかな』って思うようになって、結局、横浜商科大学に進みました。いつか、自分がリカーショップを継ぐんだ、って思ったので。でも、大学時代は軽音楽ばっかりやってましたけどね(笑)。基本はボーカルだったんですが、ギターもちょっとかじったり……、その頃ちょうど弟がドラムを始めたりなんかして、千葉パルコの島村楽器にギターの弦とかドラムスティックを一緒に見に行ったりしましたね」

横浜の大学に毎日通っていたという卯田さん。中学生時代はオシャレを目的に訪れていた千葉パルコですが、ご自身が音楽という趣味を見つけ、そして同時期に弟さんがドラムを始めたことで、卯田さんにとって千葉パルコは“オシャレのお店”から“カルチャーの中心基地”へと変わっていったんですね。

千葉での過ごし方がどう変わってしまうんだろう。

「閉店のニュースは、ネットニュースで出たので知ったので、去年知りましたね。ニュースを見たときは、率直に言ってショックでしたね。千葉パルコが、っていうのもあるんですが、僕の中で千葉のシンボル的なショッピングセンターがなくなるっていうことは、千葉自体がとっても寂しくなるっていうことなので、それに悲しさを覚えました。実際、今でもまだ行くことがあるので、無くなったらどうなるんだろう、千葉での過ごし方がどう変わってしまうんだろう、っていうふうに思うと、本当に無くなってしまうことがショックです」

地元千葉で生まれ育ち、中学生の頃から縁あって訪れていた千葉パルコ。オシャレ、そしてカルチャー、そして大人になってからも千葉のシンボル的存在として卯田さんの心の中にいつもあった千葉パルコですが、惜しまれつつ11月に閉店を迎えるとのニュースに、かなりのショックを受けていたようです。閉店までの数ヶ月間で、またオシャレにカルチャーに、千葉パルコで楽しいひと時を過ごしてくださいね。