石橋 三直恵さん [女優](30代女性) 石橋 三直恵さん [女優](30代女性)

石橋 三直恵さん [女優](30代女性)

千葉市稲毛区出身、一児の母。学生時代は千葉市の「劇団ルネッサンス」に所属。その後、桐朋学園短期大学芸術科演劇専攻へと進み、現在は司会業や女優業をこなす。

演劇の夢を追いかけていた学生時代の思い出がいっぱい詰まっている場所。

ハツラツとした笑顔が印象的な石橋さん。オシャレな服装に思わず目が釘付けになってしまうのは、女優業や司会業をこなす石橋さんならではです。学生時代から女優になる夢をずっと追いかけ続けている石橋さんにとって、千葉パルコは夢を追いかけていた時代にずっと寄り添っていた特別な場所なのだとか。

千葉パルコの横にある千葉市文化センターでよく公演をやっていました。

「千葉パルコに一番行っていたのは、高校時代ですね。当時は、劇団に所属していたんですが、千葉パルコの横に立っているビルの中にある、千葉市文化センターの中でよく公演をやっていたんですよ。公演が始まる前に、よくお昼を調達したりとかしていました。本番が始まると、ずっと文化センターの中にいなければいけないので、すぐ近くにある千葉パルコには本当によく行っていました。あと、千葉市文化センターの隣の三井ガーデンホテルで、ジャズダンスを習っていたんです。高校は四街道の方だったので、四街道から千葉経由で稲毛に帰る途中で友達とバーゲンに行ったり、SUPER LOVERSっていうブランドの、パンダ柄のカワイイ洋服を買っていました」

夢を追いかけて、実際に活動的に行動をしていた石橋さん。偶然にも、千葉パルコのそばで公演をやっていたご縁から、千葉パルコを利用する頻度はとっても高かったようです。四街道の高校に通いながら、友達とショッピングを楽しむってとっても素敵ですよね。追いかけている夢と一緒に存在していた千葉パルコ。そもそも、女優になる夢を追いかけた理由はなんだったんでしょうか。

あろうことか、ゴリラのモノマネがウケたんですよ(笑)。

「高校生の時は、本当に“演劇漬け”でしたね。共学だったんですが、中学生の頃から付き合っていた彼氏は別の高校へ進学したので、女子の友達と買い物に行くことが多かったかな。今振り返れば、本当に演劇しかやってなかったです(笑)。演劇は、役柄によって色々服装が変わるので、千葉パルコに行ってよく参考になるコーディネートを探していました。あと、劇中に使う小物を調達したりすることも多かったですね。そもそも、演劇をやるようになったのは、幼稚園の頃、お遊戯会でやった演劇で、本当は主役をやりたかったんですけど、引っ込み思案だったので最後に残った役が回ってきたんです。それがゴリラの役で(笑)。あろうことか、本番でセリフが飛んじゃって、何を思ったのかゴリラのモノマネをしたら、それがウケたんですよ(笑)。拍手喝采で……。その時に、『私、女優になろう』って決めました」

人は、生きているうちに色々な夢を持つもの。とはいえ、石橋さんのように幼稚園の頃からはっきりと自分の夢を持ち、行動しているというのは、なかなか珍しいことです。夢を追いかけながら訪れた千葉パルコは、演劇の中でもファションの“お手本”になっていたそうですが、千葉パルコ閉店のニュースは石橋さんの心にどう響いたのでしょうか。

もう一度行ったら、一緒に写真を撮りたいです!

「実は、千葉パルコ閉店のニュースはこのインタビュー企画で知ったんです。思わず『えー!?』って思いました。ぶっちゃけ、大人になってから千葉パルコに行った時、高校生の頃に行った時よりも、なんだか静かになっているな…って感じていたんです。大人になってからも、お正月のバーゲンでSamantha Thavasaでバッグをお姉ちゃんに買ってもらったりして、思い出深いので、本当にショックでした。閉店までにもう一度千葉パルコに行ったら、子どもと一緒に写真撮りたいですね(笑)!」

石橋さんにとって、夢追い人として全力で人生を駆け抜けていた時に訪れていた千葉パルコ。大人となった今でも訪れることは多いようですが、インタビュー企画をきっかけに閉店のニュースを知って、お子さんと一緒にもう一度訪れようと考えているようです。千葉パルコとママとの関係を、お子さんの心の片隅に焼き付けてもらえたらとっても素敵なことですね。