片岡 渉さん [広告会社勤務](30代男性) 片岡 渉さん [広告会社勤務](30代男性)

片岡 渉さん [広告会社勤務](30代男性)

千葉市中央区在住。創業130年以上の歴史がある千葉の老舗紳士用品店ゲタモの次男。24歳の頃、見識を広めるためロンドンで語学学校に通いながら1年程暮らす。現在は千葉の広告会社に勤務し、WEBマーケティングの仕事に携わる。

千葉パルコはどんな時も自分の生活の一部を担っていた。

シュッとしたネイビーブルーのネクタイにスーツ、爽やかな笑顔が印象的な片岡さん。実はご実家が千葉パルコのすぐそばに位置しているそうで、生まれてこのかた千葉パルコをずっと利用してきたんだとか。片岡さんの幼少期から現在に至るまでの間、一体どんな関わりを千葉パルコと持ってきたのか、どんな思い出があるのかを語っていただきました。

千葉パルコは「片岡家の生活の一部」でした。

「僕の実家が、千葉パルコから500mくらいのところにあるので、この辺りはド地元なんです。生まれた時から千葉パルコがあったので、30年前くらいからずっと千葉パルコと生活してきた感じですね。食料品は西友へ、衣料品はパルコの上層階へ、家族でご飯を食べに行く時は千葉パルコのレストラン街へ、といった風に、千葉パルコというのは『片岡家の生活の一部』になっている存在だったんです。記憶を遡ってみると、千葉パルコでの一番古い思い出というのは、幼稚園から小学校低学年の時くらいに、西友まで母親の買い物の手伝いで、いっぱいになった買い物袋を、母と僕とで自転車2台で運んだりしたことかな」

千葉パルコのすぐそばにご実家があるという片岡さん。生まれてからずっと千葉パルコと共に生活してきて、千葉パルコが生活の一部になっていたとのこと。他の方のインタビューにもありましたが、千葉パルコに行けばなんでも揃ってしまう程、千葉パルコにはバリエーション豊かなショップが揃っているんです。千葉パルコと共に生活してきた片岡さん、多感な思春期時代は千葉パルコとどのような関わりがあったのでしょうか。

パンクやインディーズバンドのCDはほぼ千葉パルコに買いに行きました。

「思春期にはカルチャーに興味が出てきたんです。一番興味があったのは音楽で、パンクにとても熱中していました。セックス・ピストルズというバンドのCDをタワレコで買った記憶があります。そこから、中学生になって、メロコア・AIR JAMの時代だったので、Hi-Standardやeastern youthのCDなんかもタワレコへ買いに行きましたね。当時のインディーズ系っていうのかな、そういった系統のCDはほぼ千葉パルコのタワレコに買いに行ってました。あと、確かムラサキスポーツも昔からありましたよね? ムラサキスポーツでスケボーも買ったことがありました。でも、スケボーは買っただけで終わっちゃいましたね…(笑)」

多感な頃には次第に色々なものに興味を抱くようになりますよね。片岡さんの場合、それが音楽でした。千葉パルコ@のインタビューにご協力いただいた多くの方の話に登場したタワーレコードはいつの時代も千葉に住む人々の音楽のある暮らしを支えてきたんですね。生まれてこのかたずっと千葉パルコと歩んできた片岡さん、11月の閉館を目の前にして、どのような想いを抱かれているのかを語っていただきました。

最後に地元の友達と千葉パルコの屋上で「思い出バーベキュー」をやりたい。

「小学校・中学校の時代も千葉パルコで洋服を買っていたんですけど、大人になるにつれて服を買う「階」も変わっていきました。小学校・中学校時代は6階で洋服を買っていたのが、大人になって4階の紳士服売り場で買うようになっていって…。僕は、スーツも千葉パルコの4階で買いましたし、ついこの前も、仕事で使用する備品を千葉パルコに買いに行きました。その時買ったものは、コンビニでも手に入るものだったんですが、やっぱり慣れ親しんでいるのもあって、何か買うものがあるなら千葉パルコに行こうって思うんですよね。なので、今回11月に閉館することにはすごく寂しさを覚えますし、今までの思い出が走馬灯のように駆け巡ります。最後に地元の友達と千葉パルコの屋上で、『思い出バーベキュー』ができたらいいなって思います。」

生まれてから現在に至るまで、片岡さんの生活の中にはいつも千葉パルコの存在がありました。幼い頃のお母様との記憶、中学校時代に音楽に熱中した思い出、時を経て社会人になってからも足繁く千葉パルコに通ってきた片岡さんにとって、今回の千葉パルコ閉館のニュースはとても寂しいものだったと言います。地元のご友人と一緒に千葉パルコでの思い出を振り返る「思い出バーベキュー」、是非実現させてくださいね。