熊木 太郎さん [ヒューマンビートボクサー](20代男性) 熊木 太郎さん [ヒューマンビートボクサー](20代男性)

熊木 太郎さん [ヒューマンビートボクサー](20代男性)

12歳の時に見たヒューマンビートボクサー、AFRA氏のパフォーマンスに感銘し自らもヒューマンビートボックスの世界にのめりこんでいく。現在はヒューマンビートボックスの講師として多くの生徒に指導を行う傍ら、自らイベントプロデュースやテレビ・ラジオ出演を行う。

必ず立ち寄る、っていう意味で“中心”っていうイメージ。

物静かな第一印象とは裏腹に、ヒューマンビートボクサーとして活躍する熊木さん。しかも、スケートボードに趣味のDJ、と大変アクティブな方です。若者文化を牽引するカルチャーを趣味や生業にする熊木さんは、やっぱり千葉パルコのヘビーユーザーでした。あり余るほどある千葉パルコでの思い出を余すところなくお伺いできました。

中古レコードのセールをしているお店があって、それをたくさん買いました。

「足繁く通っていたのは中学・高校くらいの時ですね。僕は茂原市の出身でして、千葉には遊びに来る感じでした。千葉に出て来て、買い物をするって感じで。あと、千葉には友達も多くいるので、遊びに来た日の夜についでに買い物をしたりしていました。中学校の頃にスケートボードをやっていて、デッキ(スケートボードの板の部分)が使っている時に折れたりすると、千葉パルコのムラサキスポーツで買ったりしました。パーツごとに売っているのがよくて。それと、僕は趣味でDJとかもやるんですけど、中古レコードのセールをしているお店があって、それをたくさん買いに来ていました」

さっそく、あり余るほどある千葉パルコの思い出を語ってくださった熊木さん。スケートボードやDJを趣味とする人たちにとっては、千葉パルコはまさに千葉市の“聖地”。男の子なら誰でも、自分のライフスタイルにベストマッチするものを買いに訪れる場所です。中学から高校という多感な時期、熊木さんにとってはまさにカルチャーの中心基地だったんですね。そんな熊木さんが千葉パルコに抱くイメージは、どんなものだったのでしょうか。

千葉パルコは、“真ん中にドーン”といる感じ。

「千葉パルコは、“中心”みたいなイメージなんです。“真ん中にドーン”といる感じ。千葉パルコの周辺には、ライブハウスやクラブハウスがいくつかあるので、そこでイベントを開催する時でも、必ず千葉パルコには立ち寄りますね。界隈に寄っても必ず立ち寄る、っていう意味で“中心”っていうイメージなんですよ。僕は学生のころ、よさこい踊りをやっていて、千葉中央公園で開催される関東最大級のよさこい祭りの『ちばよさこい』や、千葉中央ツインビルの前の通りを封鎖して踊る、親子三代夏祭りに毎年参加していたんですけど、その時も必ず踊り子さんが買い物したりしていたりして。お祭りの時も、やっぱり“中心”みたいなイメージなんですよね」

千葉から全国に活動を展開する熊木さん。やはり、千葉市の音楽系・ダンス系イベントには多く関わっていらっしゃるとのこと。中でも、千葉の親子三代夏祭りは30万人を超える人が来場する超巨大イベントで、千葉パルコ前の千葉中央公園を中心に毎年開催されています。千葉の親子三代夏祭りに訪れた人や、参加している人は、必ずと言っていいほど千葉パルコに立ち寄った経験があるはず。そんな風に“中心”と語る熊木さんの目に、閉店のニュースはどう映ったのでしょうか。

「閉店」っていう文字を見るたびに、単純に寂しいです。

「この界隈で何か催し物をやると、例えばダンスのイベントとかで集まりがあると、子どもが衣装を忘れたとか失くしたとかした時に、千葉パルコで買って事なきを得るとか。とても心強い存在です。11月に閉店するにあたって、『閉店』っていう文字がいろんなところにあるじゃないですか。『閉店セール』とか。それを見ると、単純に寂しいです。思い出が結構あって……。地元で買えないものがここに来ると買える、っていうのがよくて通っていたから、そういう場所がなくなってしまうっていうのが。欲しかったCDやレコードが中々なくて、ここに来たらたまたまあった、っていうのがあるんですよ。だから、そういう体験ができなくなると思うと寂しいです」

中学から高校にかけて、熊木さんの趣味を支えた千葉パルコ。そして、ヒューマンビートボクサーとして活躍をするようになってからは、イベントを支えてくれた千葉パルコ。この千葉パルコにたくさんの思い出を持つ熊木さんにとっては、大きな大きな空白が生じてしまうようです。素敵な商品との一期一会の出会いがある千葉パルコで、また素敵な出会いを探してくださいね。