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市原 美喜夫さん [学校法人経営](50代)

千葉市中央区出身。千葉市中央区内にある開園40年を数える伝統ある幼稚園を経営している。趣味はギターと歌。現在、3人の孫がいる。

千葉の一番いい時代を作ったのが、
千葉パルコなんです。

千葉市内で幼稚園を経営されている市原美喜夫さん。落ち着きとチャーミングさを兼ね備えた、ダンディな方です。市原さんは千葉パルコの創業前から千葉に住んでいるそうで、千葉パルコの歴史を知る方でもあります。今回は市原さんの思い出と一緒に、千葉パルコの歴史も教えていただきました。

若者の遊ぶおしゃれな場所が、やっとできたという感じだった。

「今日も千葉パルコを覗いたんですよ。この辺は昔からよく通るんです。千葉パルコが開業した頃のことはよく覚えています。というのも、1976年は私が経営している幼稚園がスタートした年なんですよ。同い歳ということで、記憶に残っています。千葉パルコは昔、田畑百貨店という商業施設だったんですよ。残念ながら1971年に火事になってしまって、72年に廃業されました。結構大きな火事だったそうです。その跡地にできたのが千葉パルコなんです。40年前、中学生か高校生の私が何をしていたかというと、何をするでもなくこの辺をブラブラしていました。それまでこの辺りは遊ぶ場所がなかったんですよ。ナンパ通りにマクドナルドがあって、現在はタワーマンションが建っている場所にセントラルプラザというショッピングセンターがあったんですが、それくらいかな。セントラルプラザの前身はニューナラヤというデパート。他にそごうや三越もあったんですが、その年齢が行くところじゃないでしょ。だから、オシャレな千葉パルコができて嬉しかったね。何を買えるというわけでもなかったんだけど。だから、ここに来て何かを買うようになったのは大人になってから。4階にコレクションホールがあって、Paul Smithとか、あとは加藤和孝さんがデザインして舘ひろしさんがモデルを務めていたTETE HOMME というスーツのブランドとかがあった。ここ以外にTETE HOMMEがなくて、代官山まで行かないと買えなかった。だから、大人買いしてました(笑)」

千葉パルコ開業時の嬉しい衝撃がインタビューから伝わってきます。市街地の変遷と共に千葉パルコの創成期について詳しく語ってくださった市原さん。千葉パルコに対する市原さんの関心の高さが伺えます。

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デートをしていたら、父に見つかったこともあります。

「千葉パルコには一人とか家族とか、いろいろなシチュエーションで来たことがありますよ。そうそう、結婚前に今の家内とデートで来て、手をつないで歩いていたら、厳格な父に見つかって後でお小言をいただいたこともありました(笑)。時間が経つにつれてコレクションホールのお店が結構入れ替わりがあって、Paul Smithのデザインも自分に合わなくなった。TETE HOMMEも撤退しちゃった。それで一度、足が遠のいたこともあります。今はGUとか島村楽器、ユザワヤによく行きます。あとは本屋さんですね。改造社書店さんは千葉パルコ開業当時からずっと入ってますよね」

千葉パルコでの市原さんのほろ苦いエピソードから、様々なショップが千葉パルコに軒を連ねる活気あふれる場所だったのが伺えます。市原さんは現在でも千葉パルコをよく利用されており、市原さんにとっての千葉パルコは、今も昔も変わらずに非常に身近な存在であるように感じられます。

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千葉パルコが閉店したら、千葉の街並みが大きく変わると思う。

「地域のニュースが早く入る立場にあるので、千葉パルコ閉店の話は発表より前に聞いていました。それを聞いた時は、千葉に人がたくさん集まっていた、一番いい時代が終わってしまうのかなと感じましたね。ニューナラヤがセントラルプラザになって、タワーマンションになった。ショッピングセンターは他に十字屋さんとか緑屋さんもあったけど、みんな廃業してしまった。映画館も千葉劇場さんがあるけど、どうしたって人が集まるのは郊外のシネコンの方。千葉に人の集まる場所がなくなりつつあるんです。だからこれからどうなっちゃうんだろう、と。寂しくなるだろうなぁと思いますね」

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千葉の歴史を交えて千葉パルコの思い出を語ってくれた市原さん。消費者としての立場でなく、千葉に住み続け、千葉を知る一人として、千葉パルコなき後の千葉を憂いていることが伝わってきました。それは、幼稚園経営という立場がなせるものなのかもしれません。幼稚園に通う小さな子どもたちのためにも、千葉をよりよいものにしていきたいですね。